ピンで生きる人は「大樹」のような人 久米信行(著) 『ピンで生きなさい −会社の名刺に頼らない生きかた−』

「ピンで生きる人」といったら、どんな人を想像しますか?
この本のタイトルのように「会社の名刺に頼らない生きかた」などと言われたら...


私は、
人に頼らず自分ひとりの力で生きている人,一匹狼的な人
というイメージを持ったのですが、みなさんはいかがでしょうか?



では、この本に書かれている内容は、というと……。
まずは目次を見てみてください。

    目次


    まえがき


第1章 ピンで生きるとは
     1 ピンで生きる人は、会社でも能力を発揮する
     2 ピンで生きる人は、会社を愛し己を大切にする
     3 ピンで生きる人は、看板に頼らず、自らが看板となる
     4 ピンで生きる人は、社内で群れず、仕事を通じて師匠を探す
     5 ピンで生きる人は、肩書で人とつきあわない
     6 ピンで生きる人は、リストラは自分事だと覚悟している
     7 ピンで生きる人は、チームの力を最大限に引き出す
     8 ピンで生きる人は、誰に対しても威張らず腰が低い


第2章 ピンで生きる人の心構え
     9 ピンで生きる人は、何をやっても喰っていけることを知る
    10 ピンで生きる人は、レールから外れてもわが道に光ありと信じる
    11 ピンで生きる人は、学歴にも学閥にも頼らない
    12 ピンで生きる人は、脳のパラボラ力を磨く
    13 ピンで生きる人は、心のズーム力を自在に使う
    14 ピンで生きる人は、人生の合鍵をたくさん持つ
    15 ピンで生きる人は、ゆらぎの中でいい塩梅で生きる
    16 ピンで生きる人は、三振を恐れず打席に立ち続ける
    17 ピンで生きる人は、身を助ける芸を持つ


第3章 ピンで生きる人のたしなみ
    18 ピンで生きる人は、ご縁を大切にしてネットワークを広げる
    19 ピンで生きる人は、自分とは正反対の人ともつきあう
    20 ピンで生きる人は、縁と恩をないがしろにしない
    21 ピンで生きる人は、価値観の違う人との化学反応を楽しむ
    22 ピンで生きる人は、まずは「ひと様のために」を優先する
    23 ピンで生きる人は、ご縁を自分のためではなく、人のために使う
    24 ピンで生きる人は、本業以外の人と有機的につながる
    25 ピンで生きる人は、なんでも面白がり、「道楽者」を目指す


第4章 ピンで生きることが辛くなったとき
    26 ピンで生きる人は、孤独と孤立の違いを知っている
    27 ピンで生きる人は、健全なる体を保つためにリラックスする
    28 ピンで生きる人は、狂信力と継続力で幸運を引き寄せる
    29 ピンで生きる人は、変化や逆境を味方にする
    30 ピンで生きる人は、「打たれてなんぼ」、多少の失敗は関係ない
    31 ピンで生きる人は、「すべてはダメ元」から始める


    あとがき


どうですか?

3や4,9〜11などは、人に頼らずひとりで、という感じもしますが、
でも、18〜23なんて、どうでしょう??
縁を大切にするとか、ご縁を人のために使うとか、最初に想像した「ピンで生きる人」のイメージとは全く違うのではないでしょうか。



ではこの本の中から、私自身も会社の名刺に頼らずに生きていきるようになるために実践したいと思ったこと,こんな風になりたい、と思ったことを紹介しますね。





まずはこれから

「3 ピンで生きる人は、看板に頼らず、自らが看板となる」より

 ピンで生きる人が目指すべきゴールのひとつは、すべてのお取引先から「◎◎社の〇〇さんですね」ではなく、「〇〇さんのいらっしゃる◎◎社ですね」と言ってもらえることだ。最初の出会いの時こそ名刺の力=会社の看板を利用してもいいが、やがては自らが看板になるのだという強い意志が必要だ。
 ところが、多くの人は会社の看板やブランドに頼り切って、自らをブランド化しようとしない。特に、ブランドのある大企業に勤める人ほど、会社のブランドを自分のブランドと勘違いしがちである。だから、自分を磨き、自分を売り込む努力を怠りがちなのだ。 (P26)

この「◎◎社の〇〇さんですね」と言われたくないというのは、私がブログ始めたり、社外の勉強会や講演会に参加し始めた理由でもあります。
「かずさんのいらっしゃる◎◎社ですね」とまでは言ってもらえなくても、仕事以外の部分では会社とは関係のない1人の人間として付き合っていける仲間が欲しかったから...。


ブログを書き始めてすぐの頃に「今週のお題 『私がブログを始めた理由』」と言う記事を書いているのですが、そこにもこんなことを書いています。

仕事だけでなく、プライベートでの付き合いでも名刺(職場のしかもっていないので)を出しても
『△△会社のかず』
なんですよ。。。。


自分の名前の前に会社の「看板」がかかっている。。。。
本名フルネームでGoogleで検索しても出てくるわけないし。。。。
だから『俺って、なんなんだろ??』って。。。。
その時に、「もうブログ始めるしかない!」と思いました。


だから始めた理由は『「かず」という人間がいることを知って欲しかったから』です。

この時の気持ちは今でも変わってないです。
だから、こういうタイトルの本はつい手に取ってしまうのです。


でも、こういう活動をしているということは少しは、自分を磨いたり、自分を売り込む努力をしてると考えていいのかな??





次はこの部分

「10 ピンで生きる人は、レールから外れてもわが道に光ありと信じる」より

 ピンで生きられる人は、レールから外れることを恐れない、厭わない。それどころか、時にはわざとレールから外れてみるのである。
 なぜなら、ピンで生きる人は、レールに乗り続けることは安全どころか、時に危険であることをよく知っているからである。
 レールに乗るというと、いかにも安定して楽ができるように思えるだろう。しかし、そのレールが快適で快速であればあるほど、自分たちが向っている先がどこだろうと気を払わなくなる。自分で行先を決めたり選んだりする機会が奪われ、やがて何も決められない人になってしまう。このままいつまでも気持ちよく走っていられると錯覚してしまうので、危険を察知する能力も薄れていってしまう。日本のエリートのお家芸=問題先送りの構造である。 (P76)

この文章を読んだら、川上徹也さんの著書『明日、会社がなくなっても、自分の名前(ちから)で勝負できますか?』で紹介されていた缶コーヒーのCMのコピーのことを思い出していました。そのコピーはこれ↓

(朝の通勤電車。車掌のアナウンスが聞こえてくる)


車掌    「えー、全国のボス一歩手前のみなさま。
       終身雇用行き年功序列線にご乗車
       まことにありがとうございました」


乗客1   「ありがとう」
乗客2   「ございました??」


車掌    「この電車は時代の急速な変化のため、
       急きょ行先が不透明になってまいりましたので
       勝手ながら次の駅で実力主義線に乗り換えになります」
乗客3   「実力主義線?」
乗客4   「そんなの聞いてないよ〜」
乗客5   「もう少しでボスになれるのに〜」


ナレーション 缶コーヒーも実力主義の時代へ
        ボス サントリーから


車掌    「(笛とともに)早く降りてくださーい!」


レールに乗るのがいけないわけではない。
でも、
それがどこに向かっているのか?
そのまま乗り続けていていいのか?
ということは常に考えて,感じていなければいけないことだと思います。


変化が激しい現代、自分が勤める会社がこの先どうなるかなんて、誰にもわかりませんからね。


そういう考えがあれば、『6 ピンで生きる人は、リストラは自分事だと覚悟している』に書かれているように

ピンで生きられる人にとって、リストラが起こるような状況は、必ずしも悲観すべき危機ではない。むしろ、自分が磨いてきた能力や築いてきた社内外のネットワークを活かして、大きく飛躍できる好機となる。 (P50)

とも受け取れるのでしょう。


どこに行っても活かせる能力,ポータブルスキルを身につけておく必要があるのですね。





最後にこれ

「18 ピンで生きる人は、ご縁を大切にしてネットワークを広げる」より

 ピンで生きる人は、何よりご縁を大切にする。
 一人で生きていける雑草のような逞しさだけでは、ピンでは生きていけない。過去の修羅場を通じて、ご縁のありがたさを痛いほど胸に刻んでいる。
 ひときわ高く自立する大樹になるためには、その大きさにふさわしい広がりと深さで地中の隅々まで根を張らなければならない。ただ、根を張るだけでは不十分である。土の中の水分や養分を吸収するためには、数えきれないほどの微生物や虫たちの力を借りなければならない。子孫を残すべく受粉して種を遠くに運ぶ時にも、自ら歩けない大樹は、鳥や虫たちの力を必要とするのである。
 雄々しく育つことができた大樹ほど、枝も根も張り出している。いつしか、多くの生き物と共生して、有機的な「命のネットワーク」の中心になっている。自分ひとりではできないことを、相互に助け合うネットワークの力で解決しているのである。そのかわり、無数の命を守るために、ある時は強い日差しや水分の蒸散を防ぎ、ある時は自ら餌になる。一見すると、ピンで生きているように見える大樹は、もはや1本の木でなない。小さな宇宙を支えつつ、同時に自らも支えられる命の基盤、インフラなのである。
 だから、真にピンで生きる人は大樹のようである。自然に多くの人物が集まってくる。それもピンで生きる人たちが集まってくる。本来ならピンでも生きられる自立した逞しい人たちが、なぜか、大樹を慕い大樹に学び、大樹のために生きたいと願うのだ。いつか自分も大樹となる修行も重ねつつ。 (P134)

どんな大樹であっても自分一人の力で大樹になれたのではない。
大樹が数えきれないほどの微生物や虫たちの力を借りて成長できたように、人もたくさんの人の力を借りて成長できるのだから、そのことをきちんと理解して、他人に感謝する必要があるのですね。
また、それだけの恩を受けたのだから、その人たちに恩返しをするとともに、年長者から自分が受けた恩を次の世代にもつないでいく、恩送りしていくことも大切なのですね。


私自身、「この木何の木気になる木」ほどの大樹にはなれないと思いますが、街中の歩道に植わってる街路樹ぐらいにはなりたいですね(笑)





感想
この記事の冒頭にも書きましたが、私は、
「会社の名刺に頼らずピンで生きる人」とは、「人に頼らず自分ひとりの力で生きている人,一匹狼的な人」
と思っていたのですが、この本を読んだら、その考え方を完全に覆されてしまいました。


「ピンで生きる人」は「一匹狼」どころか、自分が多くの人に助けられ,支えられて大きくなったことを自覚して、それまで受けた恩に感謝するとともに、その恩を他の人に返していくという、人間的にとてもステキな人だったのです。


ということで、この本は「名刺に頼らず生きていきたい」と思っている人に限らず、自分の世界を広げたいと思っている人,いろんな人と交流したいと思っている人、その他大勢の人にお勧めできる本だと思います。

ぜひ手に取って読んでみてください!



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