【私見】『利他主義』、実は『利己主義』?

利他主義」が大切というけれど、ずっと「利他主義」であり続けるためには「利己主義」じゃなきゃいけないじゃないかな〜思ったんですよね。。。



どいうことか?というのはあとで書くとして、
まずは、この「利他主義」と「利他主義」意味を調べてみました。

り‐こ【利己】
自分の利益だけを考え、他人のことは顧みないこと。「―の心」
(goo辞典 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/230831/m0u/


りこ‐しゅぎ【利己主義】
社会や他人のことを考えず、自分の利益や快楽だけを追求する考え方。また、他人の迷惑を考えずわがまま勝手に振る舞うやり方。エゴイズム。「―者」
(goo辞典 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/230849/m0u/



り‐た【利他】
1 他人に利益となるように図ること。自分のことよりも他人の幸福を願うこと。
2 仏語。人々に功徳・利益(りやく)を施して救済すること。特に、阿弥陀仏の救いの働きをいう。
(goo辞典 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/231111/m0u/


りた‐しゅぎ【利他主義
利己主義に対して、他人の幸福や利益を図ることをまず第一とする考え方。
(goo辞典 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/231131/m0u/


さて、では私がなぜ『「利他主義」であり続けるためには「利己主義」じゃなきゃいけない』と思うのかということですが、


私が思うに、「他人のため」の中には

「〇〇してあげる」という気持ちもあるんじゃないかって思ってしまうんです。



この「〇〇してあげるという気持ち」には、自分は偉い・相手が劣ってる、といった「上から目線」的にも感じてしまうのです。


だから、あんまり好きじゃないなって。。。





それに、私のイメージでは「利他主義」という言葉には「自己犠牲」が含まれてしまうんですよね。

多少なりとも「我慢する」という気持ちがあるんじゃないかと。。。



そうすると、感謝されたい、とか、お返しが欲しい、とか、見返りを求めてしまうと思うんですよね。
でも、感謝されるどころか「なんでそんなことしたの!?」なんて言われようものなら、カチンときてしまう。



かつての私は、こんなこと、しょっちゅうありました。
せっかくやってあげたのに・・・・


という気持ちを引きづって、そのあとずっと不機嫌でいることが・・・(;^_^A




でも、あるときから、私は「やってあげた」と思うことを止めたのです。

どんな行動も、たとえ人に頼まれたことことであっても、すべて自分で決めてやったこと、と思うようにしたんです。



いくら頼まれたことだって、拒否することもできるのですからね。



まっ、拒否したらどうなるか、そのあとのことも考えて、


やるべきか,拒否しても大丈夫なのか


天秤にかけて判断しているのでしょうけど。



たとえば、
私にとっては古い話だけど、学生時代の試験だって、やりたくなければ、「受けない」、という選択だってできたわけですよ。でも、受けなきゃどうなるか?落第するかもしれませんよね。
この場合は、試験を受けるのと、落第するのと、どっちがよりイヤなのか、ということを”自分で”判断して試験を受ける選択をしたはずなんですよね。


仕事だって同じこと。断ったらクビにあるかもしれないと思うから断れないんじゃないかな??
クビになってもいい、と思えば断れるでしょ??


どちらを選択するにしても、最終的に決断したのは、やはり”自分”なんですよ。
というとは、責任も”自分”にあると思うんです。




だから「利他主義」というのは、客観的に見れば「利他主義だけど、やってる本人は、自分がやりたくてやっているのだから主観的には「利己主義」なんじゃないかって思うんです。


「自己犠牲」をともなう「利他己主義」では長続きしませんからね。。。




だから私は主観的には「利己主義」(客観的には「利他主義」)でいたいと思います^^