「時間がない」はやらないことへの言い訳

おはようございます。


今日は月曜日なので、週刊化したブログの更新日なのですが、昨夜9時ごろまで書く内容が思いつかなかったので、こんな記事を書こうと思っていました。

タイトル:ごめんなさい


本文:
 仕事が忙しくてブログ記事のことを考える時間がありませんでした。
 だから今日はこれだけしか書けません。

と...



そんなことを考えながらお風呂に入っていたら、
「時間がないというのは、やらないことへの言い訳」なんだよな〜
「ブログが書けない,書くことがない」というのは自分の「書こう!」という意識が低いからだよな〜
なんてことを考えてしまっていたのでした。


自分で自分のことを思ったのだから、これは本当のことでしょう(;^_^A



実際、情報感度が高い人は、私がちょっと言ったことをしっかり覚えていて、それをブログやメルマガに書かれているのですから。

記事を読んだ私の方が、「あの時言ったことだ!そんなことを覚えていて記事にするんだ!」と思うほどですからね。





1か月ほど前に聴いたPodcast番組『税理士佐藤亜津子の「今さら聞けないココだけの起業の話」−2014年05月12日 情報発信について【2】継続すること−』で、2000年からほぼ毎日(更新しなかった日は3日のみとのこと)ブログを更新しているというカメライター・かさこさんの話を聴いていたら、


書くことがないときは、一言しか書かなかったこともある


という話をされていました。


また、毎日書き続けてきた現在では、書くことがないのとは逆に、書きたいことがありすぎて、どれを書こう?という状況になっているとのことでした。





私は”週刊”にしてしまったので、

逆に書くことが見つからないのかな?
かさこさんのように、一言でもいいから毎日書く、と決めたほうが情報感度を高く保てるのかな?

などと考えてしまっています。



今日から突然「毎日書きます!」とは宣言しませんが、

どうしたら続くのか?
どうしたら書くことが見つかるのか?

など、時間を作って考えてみたいと思います!



「時間があったら」なんていってると時間なんて絶対見つからない。
「時間は作る」しかないのだから……。